恵比寿の五差路で道に迷う

あの五差路には人を惑わす魔物が棲んでいるに違いない

plug in

アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というSF小説の中で
情調(ムード)オルガンという設定がある。
これは、テレビのチャンネルを瞬時に切り替える様に
人間の心持ちを切り替える機器とされている。


私にとっての情調オルガンは、音楽だ。

いや、誰しにとっても多かれ少なかれ
そうなのかも知れないけれど。

音楽に感情賦活効果があるのは、
皆さんの体験からもご存知だと思う。

私は自分の中に存在する
活性化したい感情を強く意識して
聴く曲をセレクトする事が多いのだ。


例えば
スマホのプレイリストでよく再生されるうちの1つで
acceleratorと名付けたものがあるのだけど
これは文字通り
心にエンジンをかける為のものを選曲している。

自分のテンションが低い時に聞き続けると
何となく心持ちが上向きになってくる事が多いのだ。

まあ、情調オルガンの様に明確な効果では無いけれども
現実的かつ効果もそれなりにある対処法だと思う。

 

 

ところで音楽の効用を意識するといえば
アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を
気分良く読み進める為の
プレイリストを作ってみたのである。

SFで近未来物なので、
テクノ系やエレクトロ系で纏めているのだけど
完全に個人的な趣味でのセレクトだ。


Track ten
ジュアンアトキンス

Suck fest 9001
デッドマウス

Wasting moonlight
シック インディビデュアル

Never
オービダル

Clarity
ゼッド


この5曲を聴きながら読み始めてみると
軽い酩酊状態の様な心持ちで
気分良く読み進める事が出来た。

音楽の持つ精神賦活効果は偉大である。

加害者が放つ「気にしないで」という暴言

「あなたの言葉に私は不快な思いをした」
と伝えた場合、
「気にしないで」と言葉を返す人間がいる。

この言葉を放つ相手は
ご自身が相手を傷つけている事に対し
大概無頓着だ。

愚鈍とはこういう時に使う言葉であると
しみじみ思う。


もしも相手を思いやっているつもりで
この言葉をかけているのなら
それは随分と尊大な態度だ。
まるで中世の王や女王の様な振る舞いである。

それだけご自身が
偉大だとでも言いたいのだろうか?


そもそも
ご自身が相手を傷つけておきながら
気にするなとはどういう了見であろう。

無意識下であっても
意識上であっても
相手を格下だと思っていなければ
まず出てこない言葉である。


そしてご自身の加害責任性を
うやむやにしようとする言葉でもある。
ご自身が行った加害行動を
無かった事にしろと言っているのと同義だからだ。

言動の背景に存在する
この様な不誠実さは
個人的に強い不愉快さと怒りを覚えてしまう。




放った言葉は
二度と取り消す事が出来ない。
決して、無かった事には出来ない。

聞いてしまった人の心は
少なからずその影響を受ける。
聞く前の心とは必ず違う状態になる。

耳に飛び込んできた言葉に対し
聞いた側の感受性が
ほんのわずかでも反応すれば
それに付随する知覚を拡げてしまうからだ。

だからこそ元の状態になど
絶対に二度と戻らない。
なるわけが無い。


ご自身が傷つけた相手に対し
もしも良い状態になる事を
本当に望むのならば
適切なのは回復を願う文脈なのである。

spell

自己の肉体という境界線を越え
外界と感性が交わると
漠然とした反応が産まれる。

それは確かに存在するのだが
曖昧で正体は掴めず
ただそこに在るのみだ。


しかし冷静な視点で眺め言語化すれば
地に内在した種が
芽吹いて成長する様に
たちまち意識に上がり確固たるものになる。

つまり言葉はそれを表す為の
輪郭線を与えることが出来
第三者にすら伝えることが可能になるほど
成形を促すのだ。


言葉の力は
私達が普段意識する以上に偉大である。

形骸化のG

【閲覧注意!】

お食事中の方は、回れ右してまた次の機会に。
繊細な方は見てはイカン!

「でもあれだろ?
"イヤよイヤよも好きのうち" みたいな。
"そんな事無いよ待ち" みたいな。」

なんて宣う輩は、読んで後悔しやがれ。










玄関を掃き掃除しようとして
それを見てしまった。

夏の風物詩ともいうべき
黒光りする憎いあんちくしょう。
通称Gである。

この夏に一度、出会ってしまったのだが
一度の逢瀬だけでも
メンタル破壊力は十分な威力で
私はしばらく怯えて暮らしていた程である。

玄関でGが視界に入った際も、
特有のすばしっこさを恐れていたのだが
なんだか様子がおかしい。




死んでる?




その事実を認めた瞬間
私はすぐさま箒を手に取り
Gを外へと掃き捨てたのである

遠くへ、我が家から少しでも遠くへ。
ただひたすら、
その想いを込めて掃き続けた。




気が収まった頃に家へ戻ったのだが
大きな恐怖に駆られて
蛮行を行った輩の様な気持ちになったのは
正直否めない。

しかし、後悔はしていない。

背筋をピンと伸ばし
目を見開き
真っ直ぐ相手の視線を受け止めながら
そう言えてしまうほど、
Gの存在感は重厚なのである。

立つ鳥跡を濁さず

9月11日、NASAが打ち上げた
土星系探査機であるカッシーニ
最後のミッションに突入した。

自らを破壊する為に
土星に衝突する軌道に入ったのである。

環境に配慮する為とはいえ
自分の存在を自分で消滅させなくてはならない。
そんなカッシーニを想うと
なぜかとても胸が痛む。


カッシーニは探査を開始した2004年から
様々なオーダーを実行し
45万以上の画像を
地球に送り続けたのだそうだ。

孤独な環境にありながら
実務へ忠実に励む様は
なんとも健気でいじらしく思えてしまう。


天体に大して興味が無い私ですら
こんな風に感情移入してしまうのであれば、
天体ファンの方々が感じる心痛はいかほどか。

カッシーニを設計し、打ち上げ、
送られてくるデータを確認していた方々であれば
自分達が産み出した誠実な相棒に
大きな愛着を感じていてもおかしくない。
理性的な判断とはまた違う心の動きを
彼等も感じているのだろうか。




カッシーニ、今までありがとう。
有終の美を飾るほどの素晴らしい仕事ぶりで、
こちらの心と体は在らぬ反応を示します。

君の死までが
プロジェクトであると理解しているのに。

思考バイアスとは人間臭さなのだろうか?

思索にふける際
環境はある一定のバイアスをかける。

実感する思考バイアスで一番単純なものは、
時間帯と天気だ。


同じ主題であっても
静かに小雨の降る深夜に詰めていく思索と
燦々と太陽が輝く朝に詰めていく思索では
温度差や方向性の違いが感じられる。




密やかに
けれど確実に働いている感性の力で
己の人間らしさを実感させられるのだ。